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2016年9月27日 (火)

天的な使命を果たすための教会の霊的資源~②

この課題は霊的な民によって果たされる

さて、この課題はすべて霊的な問題であって、霊の領域で戦い抜くべきものであることを、私たちは繰り返し指摘しました。その結果として、神の働きはまず霊の領域でなされなければならないことがわかります。一時的な状況を対処して、それに打ち勝つのは、その後のことです。

ここで私たちは直ちに状況の核心に導かれます。私たちは前の黙想でクリスチャンの一団について述べました。彼らはある種の人々であり、ある特別な地位にあり、ある特別な働きをしています。これはどういう意味でしょう?言葉だけで述べても、必ずしも助けになるとは限りません。私たちは自分の言葉を説明しなければなりません。私たちは霊的な民について話していますが、この霊的な民は霊的な関係の中にあり、霊的な地位を占めていて、霊の軍勢を対処して打ち倒す卓越した働きを行っています。しかし、この「霊的」という言葉の意味は、すぐにはわかりにくいです。「霊的」であるとは、実際の働きではどういうことなのでしょう?

霊的な民の特徴

(a)生まれながらの命によってではなく、神の命によって生きている

さて第一に、「霊的」という言葉が意味するのは、そのような民の命は霊の命でなければならないということです。神の働きにおいて、生まれながらの命が大量に放出されるおそれがあり、しばしば実際にそうなっています。あなたはそれを別の言葉――熱心、熱狂、動力、力、その他あなたが全力を尽くして打ち込む様子を描写する言葉――で呼ぶこともできます。この熱意、この熱烈さ、この力で、あなたは神の働きを果たします。

さて、これは私が「霊的」と言っているものではありません。もし物事を霊の領域で行おうとするなら、ただ霊の命によって行わなければなりません。そして、霊の命は生まれながらの命とは何かまったく異なるものです。

私たちがすべてを十字架の基礎の上に据えて、十字架が私たちの基礎、私たちの解釈となることを許す時、まさにそこでこの大いなる断絶がなされ、この大きな違いが認識され、この大転換が起きます。

十字架で、霊的な事柄に関する限り、生まれながらの命はすべて終わります。霊的な効果を生じうる生まれながらの力は、十字架ですべて終わらされ、無効にされます。実質的に霊的なものを生み出しうる、生まれながらの体の命、エネルギー、力でさえも、まったく価値がなくなります。霊的な軍勢と接触するようになる時、物理的な天然の領域にある筋肉や体格の力が一体なんの役に立つでしょう?最強の肉体といえども、霊的な軍勢がただ触れるだけで損なわれてしまいます。ですから新約聖書を見ると、生まれながらの命のエネルギー、能力、力に頼る人々はみな退けられているのがわかります。

そして、当時者たちは生まれながらの命の終焉に導かれ、自分たちの霊的働きや自分たちの霊的責任は神の命から発することを知るようにされます。体のための命でさえ、神の命から発します。ですから、彼らは神の御手の下で、神の命が自分の体にも供給されない限り――たとえ以前は肉体的にも体格的にも強かったとしても――前進することができず、おしまいであるという地点に達したのです。<中略>

ですから、この民が経験的に学ぶべき大いなる学課の一つは、神の命によって生きる方法を知ることです。私たちがこの基礎に辿り着くとき、どの結果も自然な成り行きの結果ではなくなります。<中略>

ですから、キリストにある権威は、まず第一に命によります。この神の権威の衝撃力を悪と死の王国の上に及ぼすには、この衝撃力を及ぼす経路となる民はこの基礎の上に到達しなければなりません。この基礎の上で、彼らは神の命を経験し、神から命を引き出す方法を学び、霊的な神の命を互いに供給しあう方法を学ばなければなりません。自分たちの体の命のためにも、そうする必要があります。

神の命は途方もありません。もし私たちが神の命によって生きるなら、年を取ったからといって死ぬことはありません。自然の理がそうだから、また医者がそう言ったからといって死ぬこともありません!私たちが死ぬのは、主がそう言われた時だけです!主が私たちを通して御業を遂行するのにもはや神聖な命は必要ないと判断される時、私たちはさらに豊かな命の中に入ります。これは死ではありません。これが、死が主要な抵抗勢力であるこの宇宙における、キリストの権威です。霊的な民はこれを知らなければなりません。

この境地に導かれることはたんなる教えではありません。これは厳しい死にもの狂いの仕事です。これは反対を受けます。まさにサタンの階級組織全体から反対を受けます。この反対に応じるには、私たちは霊と魂と体のために神の命を経験しなければなりません。


この命に対する課題には団体的に応じなければならない

そして、これは何と団体的な問題であることか!私は人々のことを述べています。そうです、これは個人の問題です。個人的な実行と経験が必要であり、個人的な知識と適用と獲得が必要です。しかし、これは何か個人を超えた問題なのです。この戦いでは、すべての個人が協力する必要があり、教会全体を巻き込む必要があります。聖徒たちと協力せずに、この霊の戦いの領域の中に入って行く哀れな人の上には、その人が誰であろうと災いが降りかかります!

ですから、この霊の領域で勝利を得る問題は教会の問題です。私が「教会の問題」と言う時、それは団体的問題を意味します。教会は主の御名の中に集まる二人または三人を指す場合もありますが、少なくとも互いに供給し合うものでなければなりません。ああ、教会の大部分がこれについて知り、ただちにこの中に入り込んでこの上に立っていたなら、現在起きている悲劇の多くは決して起きていなかったでしょう!

いま神の働きから退いている多くの人がいますが、その中のどれほど多くの人が神の働きのために用いられていたことでしょう!どれほど多くの人が働きから引退しなかったことでしょう!彼らは敵の勝利を示しているのでしょうか?神の命の不足のゆえに諦めなければならない人はみな――敵の勝利を表しているのでしょうか?霊的軍勢を対処する霊的立場に着いている霊的な人々とは、次のような意味です――第一に、内なる人である霊のために霊の命(つまり神の命)を経験している人々であり、魂と知性のために経験している人であり、実に体のためにも経験している人のことです。

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